中央大学経済学部卒業生の伏木 光英(ふせぎ みつひで)さんが、G7広島サミット事務局課長補佐として、2023年5月19日から21日にかけて開催されたG7広島サミットに携わりました。
伏木氏は2001年に本学経済学部を卒業後、2003年に東京外国語大学大学院国際協力専修コースに入学し、2005年に同大学大学院を修了後、外務省に入省しました。その後、アルジェリア、ジュネーヴ、コンゴ、フランス・パリの日本大使館での勤務を経て、現在は日本で活躍中です。
G7広島サミットで伏木さんが関わった業務を中心にした報告と、本学在学生に向けた熱いメッセージを寄稿いただきました。
先日、5月19日から21日にかけて開催されたG7広島サミット。G7各国と複数の招待国の首脳たちが、人類史上初の被爆地である広島に集い、核兵器のない世界の実現に向け、意見を交わした。私は外務省G7広島サミット事務局において、昨年の夏から9か月間、この歴史的な重みを持つ首脳会議の開催準備に携わってきた。事務局着任当初から、日本開催、ましてや広島が会場となるG7サミットに対する人々の注目度や期待は、私が過去に関わった首脳外交の比ではなかった。私は、「ヒロシマ」が人類に対して有する崇高な役割を、改めて認識することとなった。
事務局での私の役割には、地元自治体と協力しながら、サミットの開催機運を盛り上げていくため、広島県下の中高生にサミットの歴史や意義をわかりやすく伝える出前講座が含まれていた。
同講座を通じて私は、核兵器廃絶を議論するために、広島ほど相応しい場所はないという、広島から日本の次世代を担う生徒の生の声に触れた。複数回実施した講座は、私にとって、コミュニケーションがなんたるかを改めて知る貴重な機会ともなった。広島サミットの成果文書にも言及があるが、日常生活ではほぼ耳朶に触れることのない、「デカップリングではなく協調」とか「包摂的で、強靭な世界の実現」など、私が村夫子然と難解な言葉を並べ立てることによって、独りよがりに終わることも多かった。巷間なじみのない外交用語の羅列で満足せず、若い人たちにいかに楽しく聴いてもらえるか、これに対する模範回答は、依然として見つかっていない。
サミットはG7各国が毎年持ち回りで議長国を務めており、2023年は日本がその役割を担っている。サミットは閉幕したが、これから年末まで、G7関係閣僚会合が日本各地で開催される。直近数年のサミットは、2022年にドイツ・エルマウ、2021年に英国・コーンウォール、2020年は米国が議長国の年であったが、コロナ禍の拡大を受けTV会議となり、そして、2019年にはフランス・ビアリッツで開催された。開催都市は、いずれも大都市圏ではなく、海や山々に囲まれた保養地で行われることが多くなっている。そういった静かな環境で、首脳同士は膝を突き合わせて、胸襟を開いて意見交換を行うのである。
そういう流れの中で、今年、日本は政令指定都市の広島市を主会場としてサミットを開催した。私はしばしば広島に出張し、そのたびに日々熱気を増していく地元の歓迎ムードをビリビリと感じた。街中の至る所に広島サミットのロゴマークが溢れ、テレビを点ければ広島サミットのことを聞かぬ日はなかった。中国・四国地方最大の人口を誇る広島市の住民がG7サミットを迎え入れる様子は、G7がいかに注目を集める国際行事であるかを如実に物語っている。また、サミットを通じて、広島の魅力を世界に発信しようという地元の人々の熱意は、広島市の月の平均気温を例年より押し上げたという話もある(もちろん、冗談である)。
サミット期間中、私は専ら国際メディアセンター(IMC)にいた。IMCは、国内外のプレス(報道機関)の作業場であり、また、我々が日本式のおもてなしをする場所でもある。お茶のお点前体験や日本の飲食物が提供され、日本の魅力を紹介する広報展示ブースが所狭しと並び、プレスの活動拠点とも憩いの場ともなる空間である。
サミットは、首脳外交の傍で、国内外のプレスに対して開催地を含む日本の魅力をアピールする絶好の機会でもある。プレスが広島県産の牡蠣やお好み焼きに舌鼓を打ちつつ、ゼレンスキー大統領の広島来訪が発表されるや否や、直ちに対応に追われるIMCは、24時間眠らない不夜城なのである。
広島サミットは、岸田首相による平和記念公園での議長国会見で幕を閉じた。私にとっては、これまで心血を注いできた9か月間が報われた瞬間であった。 しかし、世界は保健衛生、安全保障、グローバルサウスなど、数多のイシューで溢れ、サミットの余韻に浸っているいとまはない。私にはすぐに次の任務が待っている。決意を新たに、皆さんに前向きなご報告ができるよう、日々一歩一歩前に進んで行く。
中央大学メディア「Go! Global」にも、伏木さんと渡邉先生(経済学部フランス語教員)の対談を掲載しています。